メルティー・レッド・ジンジャー・ティー (1/3)
手首を引き、ジークンドーの構えをとる赤井秀一。
拳を握り、ボクシングの構えで応じる安室透。
場所は二輪式観覧車の通用口を抜けた先の、車軸頂上付近。安室も赤井も共に組織のキュラソー奪還を阻むために同じ場所にたどり着いた。組織が仕掛けてくるとしたらここだと踏んだからだ。
ならば、きっとここで同じ目的を持つもの同士で手を組むべきなのだろう。しかしどうしても安室はここで引くわけにはいかなかった。
観覧車の上で乱闘なんざやらかした男などこの世に数人とないんだろう。そのたった数人に今夜、二人の男が新たに名を連ねることになった。
東都水族館の二輪式観覧車の頂上は地上から100メートル。後楽園にある某ドームが地上56m。ドームに併設されたジェットコースターの頂点が約80m。それらを優に超える高さで二人は取っ組み合いのケンカを繰り広げていた。
鋭く突き出した安室の左の拳がいなされ、そのまま赤井に封じられる。逆手ですかさず追撃を放とうとした安室だが、そちらは握りこむ前に抑え込まれた。
膠着状態に陥り、二者の視線が交錯する。
「こんなことをしている間にキュラソーの記憶が戻り、ヤツらが仕掛けて来たらどうする?」
安室を封じ込んだ赤井が諭す。
攻勢しか知らない安室のボクシング・スタイルごとなだめているようで、知らずのうちに安室の眼光も鋭くなった。
「赤井秀一……自ら僕を動かしておきながら、ここに来るとはどう言う了見ですか」
「ほう?」
「ハッキリ言ったらどうなんだ!?みすみす情報を流出させた日本の警察を信用できないと!!」
もう一往復、繰り返される攻防。
肯定も否定もしない、聞く者の都合の良いように受け取られかねない赤井の返答に、安室は無性に苛立った。
この後に及んで、安室が気付いていないとでも考えているのだろうか。
今朝の時点では、キュラソーの居場所について、よもやアルバイト先の後輩から情報が入るとは思っていなかった。
『東都水族館!!この写真、コナンくんから!先輩に送ってって言われたけどどゆこと?』
最初はその文面を疑わなかった。キュラソーについて神崎が何か知っているのではないかとは怪しんだものの、そこにごまかしが含まれているとは考えていなかったのだ。
その考えを改めたのは倉庫街でのこと。安室の窮地を救うために照明を落とし、倉庫の入口を開け放ったのは赤井秀一で間違いない。この男もまた、NOCリストを取り戻すために動いていたのだろう。その間にわざわざ、安室の安否までに気を回してくるとは実にありがたいことだ。それだけでもこの男を殴る資格が、安室にはある。
それに加えて、倉庫街にはあの男もいた。神崎折。妙に不審な、アルバイト先の後輩である。偶然を装っていたが、理由もなくあんな倉庫街に居るとは考えられない。
そもそもあの日は水族館に行くと豪語していたのだ。
つまり、何か目的があってあの場に居た。そして同じ場所に潜んでいた赤井秀一。
ここに繋がりがないとは考えられない。
至近距離で赤井を睨みつける安室。バラバラになった証拠はまだ綺麗な線にはなっていない。だが、薄っすらとした繋がりがそこにはたしかに会った。
ふと、バイブレーションが鳴る。赤井の胸ポケットでスマホが震えているようだ。
赤井の意識がそちらに一瞬持っていかれた隙を逃さずに飛び出す安室。ガードを捨てた安室の殴り込みによって、二人そろって通用口の方に落ちていく。
地面に落下した衝撃による痛みをこらえながら、急いで目を起こす安室。少し離れたところで赤井も起き上がっていた。
赤井が立ち上がり切る前に、ぐっと声をひそめ、唸るように問いかける安室。
「あの日、何があった」
「…………」
「僕にはそれを聞く資格がある。そうだろう……」
ずっと引っかかっていたことがある。
『目先のことに囚われて、狩るべき相手を見誤らないで頂きたい……君は、敵に回したくない男の一人なんでね……』
来葉峠で赤井を追い詰めそこねた日のことだ。
工藤宅で変装した赤井秀一を問い詰めているはずが、蓋を開けてみれば安室はただの別人である沖矢昴と会話しており、来葉峠の方に赤井秀一本人が現れた。
もちろん、あの日の出来事をそのまま信じているわけではない。だが、あの日は安室の負けであったと認めざるを得ないだろう。
その時の赤井の最後の言葉が、妙に安室の中で引っかかっている
『それと……彼のことはまだ話すことはできない……』
赤井の言う『彼』が誰であるかはすぐに分かった。安室とともに組織に侵入していた男、スコッチ――諸伏景光。赤髪の男に連れ去られ、そのまま殺された安室の親友である男だった。あの赤髪の男の狙いは安室だった――少なくともそう見えた。そのため、交渉の場に安室が向かうことは出来なかった。
あの時の安室は動揺しており、その場に居たのは赤井だけではなく他の幹部たちも揃っていた。安室を餌にして赤髪の男とスコッチをまとめて仕留めることになったが、安室を含めた他の幹部を現場から引き離したのは赤井本人だ。
今から考えれば、FBIとしてスコッチを保護するために、単独で動く必要があったのだろう。
だからこそ、ライがFBIの潜入捜査官であると知った時、赤井秀一をなおさら許すことができなかった。FBI捜査官が組織内でのし上がるために親友の死を利用したかのように見えたからだ。
……だが、そもそも前提が間違っていたとしたら?
ライがスコッチとともに倉庫で焼いた赤髪の男は生きていた。ヤツが顔に火傷を負っていたため、火事から男だけが生き延びたかのように見える状況だった。
赤井秀一がライであった頃から、その手腕は安室も評価していた。だからその瞬間まで、思いもしていなかったのだ。想定外の出来事が起きて、赤井が赤髪の男に出し抜かれていた可能性を考えてもいなかった。
降谷零の名を知った今もなお、当時の事情について沈黙を続けているのは業腹でもあるのだが――。
「…………」
赤井が笑った。口角を少し持ち上げるだけの、小さな笑み。
「『ギブアップか、名探偵?』」
「何!?」
「俺がある男に言われたセリフだよ……最も、今の彼なら――」
「赤井さーーーん!!そこにいるんでしょ!?」
「「!?」」
階下から響いてきた聞き覚えのある声に安室も赤井も驚いてそちらを見る。
江戸川コナン、あの利発な少年の声だ。
来葉峠の件で関わりがあることは分かっていたが、やはり赤井秀一が生きていることを彼も承知らしい。そしてここに来たということは、キュラソーの騒動についても知っているようだ。
あながち、神崎から送られてきたメールも全ては嘘ではなかったのかもしれない。安室はそう思い直した。
「大変なんだ!!力を貸して!!ヤツらキュラソーの奪還に失敗したら……爆弾でこの観覧車ごとすべてを吹き飛ばすつもりだよ!!お願いだ!!そこにいるなら手を貸して!!」
想定してたよりも切迫した状況に安室は驚いた。ちらりと赤井と目を合わせる。今は、話を続きをしている場合ではなさそうだ。
「ヤツらが仕掛けてくる前に爆弾を解除しないと…大変なことになる!!」
「本当か!?コナンくん!!」
「安室さん!?――そうか。そう言えば神崎さんが連絡したって言ってたっけ……」
顔を出した安室にコナンは驚いた様子を見せたが、すぐにどこか納得したようだった。やはり安室にキュラソーの情報を送ったのはこの子の差金ではない。
赤井を睨みつけたい衝動を抑えながら、安室はコナンに爆弾の場所を訪ねた。
「車軸とホイールの間に無数に仕掛けられてる!!遠隔操作でいつ爆発するかわからないんだ!!一刻も早く解除しないと……!!」
「わかった!FBIとすぐに行く!!」
コナンに返事をして、振り返った所で、安室は赤井の様子が少しおかしい事に気付いた。顎に手を当てて何かを考え込んでいる。
「……まさかな……」
「行かないのか」
「……君はこの観覧車が地面を転がっていくと思うか?」
「はぁ?」
何を神崎みたいな事を言っているのだろうか。安室は苛立った。赤井は気にした様子もなく、頭を振って思考を振り払ったようだった。
「まあ、いい。爆弾の解除さえできれば案ずる必要はない…………恐らくな」
赤井が見上げた先には漆黒の夜空が広がっている。水族館のイルミネーションでは照らせないほどのはるか上空の闇を睨みつけているように見えた。
爆弾が仕掛けられていたということは、組織はこの観覧車で仕掛けてくるつもりだろう。キュラソーを乗せたゴンドラは今まさに頂上に向かおうとしている。爆弾の被害に合わず、キュラソーを奪還できる場所と言えば一つしかない。
ヤツらは空から来るつもりだ。
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