君が淹れたラベンダーティー (2/2)


それからの展開はおおよそ安室の予想通りだった。
ひとけの少ない倉庫の中で拘束されて、NOCであるかどうかを他の幹部達に尋問された。
キールが共に連れてこられた理由は分からなかったが、彼女が別の機関から潜入してきているNOCか否かは今はどうでもいいことだった。……キールが始末したはずの赤井秀一がまだ生きていることを思えば、少しばかり事情は見えてきそうだったが確証はない。その件について考えるべき時は今ではないだろう。
想定外だったことは二つ。
一つはジンの行動だ。ジンは予想していたよりも、冷酷で、慎重だった。疑わしい時点でバーボンとキールを始末する。ジンの中ではそれは既に決定事項のようだった。ベルモットは早急すぎる処分に反対の声を上げたものの、聞く耳を持つジンではない。
キュラソーから正確な情報が入る前に安室は始末されかけた。
引き金が引かれる寸前の銃口。
そこから安室を救ったのは照明の故障だった。ネジが緩んでいたらしい古びた照明器具が落下し、倉庫内の灯りをすべて奪う。誰かが照明を狙撃したのだ。直感的にそう感じた。そうでなければ説明がつかない程に奇跡的なタイミングだった。
照明が落ちて、幹部たちが自前のライトを取り出すまでのほんの僅かな時間に安室は拘束から抜け出し、物陰に隠れた。
逃げ出すほどの隙はなかった。もちろん、キールも連れ出すほどの余裕もない。乱雑に置かれたコンテナの裏に隠れるのが精一杯だったのだ。
『誰か』がその後、危険もいとわずに倉庫の扉を蹴り開けてくれなければ、安室はすぐに見つかっていただろう。
即座そくざに下される的確な判断に、遠距離から正確に照明のネジを外して見せる狙撃の腕前。そんな事ができる者など一人しか思い浮かばなくて、安室は苛立ったような、困惑のような、複雑な感情に襲われた。
だがその感情を咀嚼そしゃくしきる前に、もう一つの想定外に出くわした。

「……………」

「……………」

隠れた物陰に先客が居たのだ。
いつからこいつはここに居たのだろう。視線がぶつかるなり、『やばい!』と言わんばかりのリアクションを取る神崎に安室はつい真顔になった。
うるさい。音は一切出していないのに、動きがとてもうるさい。
どうしてここに居るのかと怪しむべきなのだろうが、それよりも前に呆れと、程よい苛立ちが湧き上がった。
げんなりしている内に、組織幹部たちが倉庫外に出ていく気配がした。逃走した安室を追うよりも、キュラソーの救出を優先するむねの話が聞こえてくる。どうやらキュラソーが記憶を取り戻したようだ。おかげでキールの始末も後回しにしてくれたらしい。

(しかし、だとすれば病院を狙っていたあの狙撃は一体……?……いや、今は関係なことだ)

れそうになった思考を封じて、今は脱出に専念する。さっさと出ようとしたところで、不思議そうにしている後輩アルバイト店員と目が合ってしまった。
キョトンとした、のんきな顔で、首をかしげている。放っておいたらこのまま居座りそうな落ち着き具合だった。いつ幹部たちが帰ってくるかも分からないと言うのに、何をぐずぐずしているのだろうかこの男は。
安室はゆっくりと口を開いた。読唇術どくしんじゅつをたしなんでいるかもしれない、と言う期待はしてない。だから声は出さずに、ゆっくりと一音一音ずつ、後輩に語りかけた。

(つ い て こ い)

神崎の目が愉快ゆかいそうにきらめいた。すごい!声に出してないのに言ってることがわかる!!とか、たぶんそんな事を考えているのだろう。
どうでも良いから、黙って着いてきてほしい。
こぼれそうになったため息を安室はぐっとこらえて、改めて倉庫の出口へと向かった。

「お外の空気だー!やったー!!」

外に出るなり、のんきな後輩が声をあげてのびをした。諸手もろてを上げて喜ぶ、をこうも忠実に体現しなくて良いのだが。倉庫から十分離れるまで静かにしている慎重さはあるのかと感心した矢先やさき、これである。
本当に、こう、もうちょっとなんとかならないものだろうか、この男。

「それで」

「?」

きょとん、ではないのだ。

「何をしてたんですか?あんなところで」

「かくれんぼ?」

よどみなく、軽薄けいはくに答える後輩に安室はにっこりと微笑みかけた。

「あんなさびれた倉庫で、一人で、かくれんぼ、ですか?」

神崎くんぼっちじゃないやい!ホントに!!」

「そういう話はしてません」

最近分かってきたことがある。
この男の厄介なところは、こちらの意図いとを分かった上で、けむいてくるところだ。それも、案外巧妙こうみょうな方法で煙に巻いてくる。
わざとらしい巫山戯ふざけた態度に誤魔化ごまかされそうになったが、この状況下で『いつも通り』の反応は明らかにおかしい。
安室はあえて、自らの情報のガードを少し外した。

「バーボン。ジン。ウォッカ。キール。ベルモット。……驚かないんですね?疑問にすらも思わない」

「……うーーーん。驚いてないように見える?」

表情はいつも通りだが、この言い方は恐らく図星ずぼしだ。神崎は動揺すると、質問返しをする癖がある。同じ喫茶店で働いている間に気付いた癖だ。

「ええ。最初から知っていたかのように見える……」

どこまでこの後輩は知っているのか。彼が敵である可能性が僅かでも残っている間は警戒をくつもりなどないが、いっそ試してみたい気持ちにもなる。眼の前にいる男が黒づくめの組織に潜入しているNOCだとでも囁いてやろうか。それくらいすれば少しは動揺の尻尾を出すだろうか。
いつか、彼が本当にただの不運で、軽薄なだけの、不思議なだけの男だと分かった日が来たならば。ようやくこの男が本当に驚く姿を見ることができるかもしれない。
だけどそれは、記憶喪失を偽るこの男の正体を完璧に明らかに暴いた後の話だ。

「君は……何というか……本当に……」

「本当に?」

何という名前の生き物なんだろうな。未確認生命物体と言った類のオカルトは信じない主義だが、この男がそうだと言われた時に限って信じてやっても良い気持ちになった。

「かっこよくて頼りになる素敵でラブリーな後輩?」

「飼育に手がかかる生き物ですね」

「せめて人間扱いしてくれません!?」

ピッ!と神崎がコミカルに伸び上がったところで、彼のスマートフォンが通知を告げた。こいつ、まさかあの状況でバイブレーションを切ってなかったのか。どういう神経をしているんだろうか。

「あ、お迎え来た!神崎ちゃん行かなきゃ!!安室先輩まったねー!」

止める間もなく駆けていく後輩。相変わらず逃げ足が早い。
神崎が走っていった先で、一台の車が回り込んでくるのが見えた。迎えと言っていたのはどうやらあの車のようだ。一人で来ていたわけではないらしい。
まさかあのニット帽の狙撃手が……?と安室は目を凝らす。
良く見えないが、うっすらと色のついたサングラスをかけた男が運転席に座っている。恐らく赤井ではない。だが、微かな既視感きしかんがある。ポアロに客として来ている姿を見たことがあるかもしれない。ある大雨の日にポアロに来た、妙にしっくりと馴染む雰囲気を持つ男が居たはずだ。神崎の知り合いかもしれないとは当てもなく考えていたが、本当に知り合いだったとは。
じっと観察していると、サングラスの男が安室の方を見た気がした。少し首を傾けて、安室を静かに見つめ返している。しばし混じり合う視線。
やがて助手席に神崎が乗り込んでくると、男は何事もなかったかのように車を発進させた。


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