レッドカラントの誘惑 (2/2)


『それと、五色のおねーさんなら今は心配ないよ。
記憶についても間違いなくホント。普通に一緒に居るだけなら大丈夫。
どちらかと言うと、子どもたちと一緒に行動させてあげた方が良いと思う。記憶が戻ったあとのことを考えると。怖い人に何か聞かれたときに、絶対シラを切るから。
神崎くん嘘つかない。
あと、このこと安室先輩にもそっと投げとけって、そとみさんからも言われたから投げとくね!
かぼちゃの馬車のシンデレラ!』


『(^p^)』

なんだシンデレラって。なんだこの変な顔文字。返ってきたメールの文末に添えられた妙な記号群きごうぐんにコナンは呆れたため息を吐いた。
『五色のお姉さん』とは五色のカラーフィルムを持つキュラソーを示す言葉だろう。訪ねたのはサクラの少女のことだけだったのに、やっぱりキュラソーについても何か知っているようだ。あいも変わらず奇妙な男である。

「返事が来たの?」

灰原が待ち切れない様子でコナンに声をかけた。

「ああ……とりあえず今は問題ないってさ。記憶を失ってるってのも本当だ。どちらかって言うと、今は子どもたちと一緒に居たほうが良いらしい」

「どうして分かるの」

「何か事情があるみたいだ……。知り合いみたいな書き方だけど……詳しい話を聞こうにも、さっきから神崎さん全然電話出ねーんだよなぁ。メールはすぐ返事来たのに」

裏を返せば、電話に出れない事情があるのだろう。何か危機的状況にまた陥っているか――わざと事情をぼかしてきたところを見るに、詳細を漏らしてしまうのを避けるためか。あの野郎、とコナンはため息を吐いた。

「おお、神崎くんの知り合いか!それなら一安心じゃのう」

子どもたちの行方を一緒に探し回っていた阿笠博士も安堵の吐息をもらした。
何かの折に出会って以来、あの男と博士はすっかり意気投合していたな、とコナンは思い出す。度々阿笠宅に遊びに来ているらしいが、必ず灰原がいない時間に来る。わざと時間を被らせないようにしている様子だった。灰原を嫌っているのではなく、どうにも妙な気遣いをしている結果らしい。哀ちゃんを大凶に巻き込むと黒がつく映画がはじまりそう、とか意味の分からない弁明をしていた。

「組織がらみみてーだけど、そのうち迎えも来るし……」

神崎が連絡すると言っていた安室透の正体は公安からのNOCだ。組織がらみの事件なら、そのうち公安が駆けつけてくるだろう。そうすればひとまず子どもたちとは引き離せる。
また、随分と独特な呼び方をしているが、神崎が『外見そとみさん』と呼ぶのは沖矢昴一人だ。そっちも公安に任せる方向で了承済みと言うことだろう。
キュラソーの件はこれでいい。

「それと、少なくとも喪服のお姉さんの方はやっぱり組織のやつらじゃないみたいだ」

「じゃあ何だって言うの?」

神崎さんの知り合い」

「……?さっきも言ってたけど、神崎さんって……ポアロのバイトの?」

「なあ、灰原気付かなかったか?彼女からただようあの匂い……」

「え、ええ。微かだけど線香せんこうの香りがしたわね。お墓参りの後に水族館、と言うのも不思議だけど……」

「この近くに葬式場はないけどな。それに、あのもう一つの香りだ……」

「もう一つ?」

「近付いたときに、服からほんの僅かだけどペトリコールの匂いがしたんだ」

「え?」

灰原は反射的に空を見上げた。曇り一つない快晴が広がっている。昨晩からずっと晴れが続いているはずだ。

「どういうこと?雨なんか降ってないわよ。そもそもペトリコールが漂うほどの気温じゃないし、それに、そんな微かな匂い、すぐにまぎれてしまうはず……」

雨の降り始めに地面から漂うジメジメとしたアスファルトの香り。石と排気ガス、それにいくらかの化学薬品が混ざったかのような独特なその匂いを『ペトリコール』と呼ぶ。暑い夏の雨の降り始めに良く漂ってくるものだ。

「だから、彼女はきっと居たんだよ……雨の降る葬式場にも服姿で……ついさっき前までな……」

「でもこの近くに葬式場なんてないって……」

「ああ。だから……神崎さんはあの時言ったんだ。『トリップ』って……信じられねぇ話だけど……まさか本当に」

「トリップ?旅行のこと?」

「…………どちらかつーと、たぶん」

コナンはもう一度、神崎から来たメールに視線を落とした。返信文の冒頭をじっと見つめる。

『うん、千束委員長だよ。タイミングあったら、日付、聞いてみてくれない?』

それできっとはっきりするはずだ。そんな現象が存在しているとはあまりにも信じがたい話だが、状況が真実味を後押しする。

「『神隠かみかくし』、ってとこかな……」

神崎はある男の目の前で姿を消したらしいと聞いている。比喩ひゆではなく、本当に神隠しにでもあったかのように消えてしまったのだ。その男は、その時のことを『怪奇かいき現象げんしょう』と呼んでいた。神崎は現れた時もまた、まるでマジシャンのように不可思議な現れ方をしたらしい。
だから『怪奇現象』。
妖怪か何かの類だ。
――もしその瞬間を、無垢むくな人間が、まさに人が突然現れたり消えるその瞬間を目撃したとすれば。その現れた人間はひどく神秘的な存在に見えることだろう。たとえば記憶を失って直後の、まっさらな状態だったとすればなおさら――。

「あっ!コナンー!灰原ー!博士ー!こっちだぜ、こっちー!」

コナンたちの姿を見つけた元太が少し遠くから手を振った。キュラソーの記憶を探すために聞き込みをすると意気込んでいたはずの少年探偵団だが、すっかり遊びに夢中になっていた。

「姉ちゃんすげぇんだぜ!!早く見てみろよ!」

「本当にすごいんだよ!」

「最後の一本ですよ!お姉さん、慎重にいってください!!」

どうやらダーツをキュラソーが遊んでいるらしい。子どもたちと喪服の少女は興奮こうふんした様子で観戦している。三本の矢ダーツバレルまとに当てて、合計点数を競う遊びだ。中央に当てれば50点。つまり取りうる最高得点は150点だ。
キュラソーが最後の矢を投げるやいなや、その150点が電子得点板に表示された。子どもたちの歓声があがる。ゲームの運営スタッフもこころなしか興奮した様子で、本日の最高得点が叩き出されたことを告げた。
嬉しそうにハイタッチを交わし合う子どもたちをキュラソーは微笑ましげに眺めていたが、元太に両の手のひらを向けられて、途端に不思議そうな顔をした。

「ふふ、キュラソーもハイタッチしよって」

どうしたら良いのかと戸惑うキュラソーに喪服の少女が微笑み、元太と同じように両手を胸の前でかざして見せる。恐る恐る真似をするキュラソーの両手に、元太が伸び上がってハイタッチをした。それを見たあゆみと光彦も同じようにキュラソーとハイタッチをねだる。
戸惑っていたキュラソーが楽しそうに笑うのを見て、少女もつられて微笑んだ。

「サクラ姉ちゃんも!イエ〜イ!!」

「わ、わたしも!?い、いえーーい……」

元太にうながされて、慌ててしゃがみこんでハイタッチをする少女。少しだけ恥ずかしいのか、小声でかけごえを合わせながら頬を赤く染める。

「キュラソーお姉さんとサクラお姉さんも!いえーい、ですよ!」

少女の名前はすっかり『サクラ』として子どもたちの間では定着してしまったらしい。少女は困ったようにはにかみながら、しゃがんだままちらりとキュラソーを見上げた。

「……や、やる?」

「――ふふっ。ええ、もちろん」

パシッ、と二人の両手が重なり合った。
ゲームクリアの景品としてキーホルダーを3つもらえることになり、子どもたちがそれぞれ欲しいものを選び始める。その間にコナンはサクラ――本名は『千束』と言うらしいが、ひとまず子どもたちと同じようにそう呼ぶことにする――に近付いて声をかけた。

「ねえ、サクラお姉さん!」

「うん?なあに?」

少女は苦笑しつつも、サクラと言う呼び名を受け止めた。

「はい、これ。花束、ブースに置きっぱなしだったよ」

「あ……ありがとう!つい置いちゃってたんだ……」

サクラは大切そうにバーベナのブーケを胸に抱え込んだ。

「あ、ねえ。今日って何日だったっけ?」

「7月の6日だよ」

迷いのない口調でサクラが答えた。

「え?」

「サクラお姉さん、違うよー!今日はねー!!」

キーホルダーを選び終わったあゆみが振り返って今日の日付を言う。

「あ……そ、そっか……そうだったね。ふふ、ごめんね。ちょっと間違えちゃった」

コナンの前にしゃがみこんで視線を合わせながら、はにかむサクラ。しかしその表情には隠しきれない動揺が浮かんでいた。

「あれ!?お姉さんの分は?」

サクラが日付を大きく勘違いしていた件を問いただす前に、あゆみの上げた声で話がうやむやになってしまう。子どもたちがキュラソーの分のキーホルダーがないことに気付いたらしい。キュラソーは微笑ましそうに笑って、気にしないように告げる。

「サクラ姉ちゃんの分もねーぞ!」

「私は本当にいいよ……見てただけだもん。みんな、どんなの選んだの?」

「僕はこれです!」

「俺はこれ!」

「私はこの子!」

「かわいいイルカさんだね!」

サクラは子どもの扱いが随分ずいぶんと上手い。探偵団の三人はすっかり表情を明るくして、それぞれのキーホルダーを自慢げに掲かかげてみせた。

「すっかり遊んでっけど……お姉さんの記憶を取り戻すんじゃなかったのかよ?」

コナンに言われて、少年探偵団三人が顔を見合わせる。

「これから探すんですよ!」

「でもどうやって探せば良いんだろーな?」

「うーん、高いところとか?」

「あっ!高いところなら観覧車から見下ろしてみるとかどう?あの観覧車、すっごく大きいし……」

サクラの何気ない言葉に子どもたちの目が輝いた。そもそもの目的があの観覧車と水族館に遊びに行くことだったのだ。そして子どもたち以外にも目が輝いた者が一人居た。

「さっき通ったら、観覧車の方空いてきておったぞ!乗るなら今がチャンスじゃ!!」

阿笠博士の言葉にはしゃぐ子どもたち。それぞれにキュラソーとサクラの手を取って、引っ張るようにして観覧車の方に歩き始めてしまう。

「ったく……一番乗りたがってるのは博士じゃねーか……」

「江戸川くん。本当に……大丈夫なの?その神崎さんって人の話……」

灰原の視線はキュラソーが遊んでいたダーツの的に向けられている。三本のダーツバレルが全てど真ん中――ダブルブルに突き刺さっている。まぐれでできることではない。常人じょうじんばなれした腕前にコナンも目を細めた。
だが、確信を持って灰原の問いかけに頷く。

「ああ。変な人だけど、信用できる人だよ……ああ見えて、他人の危険には慎重だ……あ」

子どもたちを視線で追っていたコナンが不意に声をあげる。元太に引っ張られたサクラがつんのめって転んでしまったのだ。
子どもたちと博士が慌てるが、本人はくすくすと笑って気にしていない素振りで立ち上がる。ワンピースの裾からちらりと見えた両膝には傷一つなかった。かなり派手に転んだように見えたが、どうやら無傷むきずのようだ。
大丈夫そうだと判断して、子どもたちに背を向けるコナン。

「俺は少しここの辺りを見てくるけど、灰原はどうする?」

「何をする気?」

「キュラソーのこと、見た人が居ないか聞いてみるんだよ。あれだけ目立つ外見なら、誰かは覚えてるはずだ。昨日の大規模停電とも繋がってんなら気になるし……」

神崎のみならず、赤井も既に動きだしている気配があった。やはり何かが起きているのだ。

「ダメよ!危険すぎるわ。あの子達とキュラソーを不自然に引き離すのも危険だというのは納得できる。でも組織が今動いていて、貴方が彼女について聞き込みをしたと知られたら……」

「…………」

記憶を失った女性の力になりたいだけの、無垢な子どものフリが通じない相手だと言うことはコナンも分かっていた。たとえ本当にただの善良な一般人相手だったとしても、面倒になる可能性があるなら念を入れてまとめて始末する。それが『黒づくめの組織』とコナンたちが呼んでいる組織のやり方だ。
それでも、とコナンは心の内で呟く。危険があるからと言って、引くことはできない。そんなコナンの内心を見透かしたように灰原は険しい眼差しを向けた。

「貴方や私だけじゃない。あの子達だって巻き込まれる。そんなの絶対ダメ」

「……そうだな。分かった。あいつらがキュラソーから離れるまではやめておくよ」

「そう言いながら、どこに行くの」

コナンは肩越しに振り返って、イタズラめいた笑みを浮かべた。

「一応、水族館に神崎さんが来てないか見てくるんだよ。居るなら突っ捕まえようと思って」

彼はキュラソーについて何か知っている様子だった。あの男は気を許した相手には口が軽いのだ。とても、口が軽い。見知らぬ相手には一応気をつけているらしいが、普段の言動はとても軽くて緩い。メール文面では問い詰められなくても、対面ならぽろりと重要な情報を漏らすだろう。……組織を相手取ったとは思えないその迂闊さが心配にもなるのだが。
しばらく水族館内を歩き回り、神崎の目撃情報を探したコナンだったが、本人に出会うことはできなかった。


←前のページへ / 次のページへ→
もくじ