大凶ヒーロー、世界を救う (1/1)
――――逃げ切った?
……うん。
逃げ切ったな、これ。
ベルモットおねーさまと約束した場所にたどり着く。誰もいない。
代わりに、薄汚れたダンボールが一つ、路地裏の目立たない場所に転がっている。中身を開ければ頼んでいた物がごろごろでてきた。着替えに、メイク落としに、リュック。
ベルモットおねーさま、マジ女神。
お外だけど誰もいないから着替えちゃおっと。
髪にまぶした赤のスプレーを落とし、カラコンを外し、顔にベタベタと塗りたくったメイクを流す。
白いジャンパーにぴっちりとしたジーンズにお着替え。
脱いだ服やらメイク落としやらをリュックに詰めて背負えば、イケメン大学生の完成だ。
どうよ、この優しそうな細目。誰もこんなふにゃんとした感じの好青年がサイコなキラーだとは思うまい。
「あー、疲れた」
フードを被って、ポッケに手をin。
人気のない路地裏からそっと出て、人通りの多い繁華街に紛れ込む。この時間帯でも、この通りは賑やかだ。もう電車もないし、今日はこのまま歩いて帰ろう。
中々ハードで濃い一日だったと思い返しながらまばらな人混みの中を歩いていると。
ふと、空の銃声が聞こえた。
……気がした。
幻だ。わかってはいる。
立ち止まって辺りを見渡すが、他に誰もその音に気づいた気配はない。
疲れた顔のサラリーマンが迷惑そうに突然立ち止まった俺を肩で押し退けた。ああ、すみませんと思わず言いそうになったのは悲しき日本人の性(さが)だ。
俺を立ち止まらせた音の正体はたぶん、知っている。
脳裏に浮かぶのは壊れた黒いスマホに、男の胸元から流れ落ちる血。そしてまだ煙を吹く銃口。
階段を急ぎ足で誰かが登る音が聞こえる。
どこにも階段なんてありゃしないのに。
階段がたどり着く先では一人の男が死んでいる。
その顔は、どこぞの公安のばれた方のスパイのものではなく。二度だけ見た、あの冴えない男の顔だ。
それを人は罪悪感だとか後悔だとか言うのかもしれない。
少しだけ、重くなった足を動かす。体は引きずりたくなるほど重いのに、でもただどこまでも歩いていきたいような気分でもあるから不思議だ。
歩いて帰るか、と誰にでもなく呟いてみる。
――気付けば口笛を吹いていた。
レット・イット・ビーは知らないからかませない。『そのままで』だなんて願えやしない。だけどこれだって十分、最高の曲だ。
大好きな映画の主題歌を風に乗せる。
もし俺が色になるとしたら、それはきっと黒じゃあないだろう。そんなに綺麗な色は出ない。
この世界を俺の望んだ色に塗り替えられるとしたら。
きったない赤色のカラースプレーでもぶちまけて、盛大な落書きを書き殴るんだろう。描けもしないグラフティアートをストリートギャング気取りで描いてみようとして、ぐっちゃぐっちゃなひでぇもんを描いて。
でも。
――工藤邸の窓から抜け出したときに聞こえてきた、男の声はずいぶんと元気そうだった。
そんなんだけで、きたねぇ色をしていたはずの世界が少しだけマシなものに思えてきた。
俺に見えている世界は今、まぁまぁきれいな色をしている。
…………それだけでもう、十分だろう?
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