きみをぼくが殺すという覚悟 (6/7)



安室の視線に首をかしげる男。
あまりの自然さに、本当に理解していないかのように錯覚する。
本当にこの男はこれで終わったと思っているのだろうか。残された謎に誰よりも近い場所にいると思うのに。

「この男が誰であるか……」

「俺?」

「そして貴方はどうやって、あの部屋まで来たのか……どうしてもわからないんですよ……」

目の前の男。
目元をどす黒く塗りたくったアイメイク。
緩く体を纏うオレンジと黄色のジャンパー。
深く被られた同じく黒のキャップに、その下の赤く染め抜かれた髪が肩口で揺れている。
仄かに香る爽やかなフォレストの香水。
クラブにでも彷徨っていそうな悪ガキの格好をしながら、男は物々しいサイレンサーを安室に突きつける。
男の姿は目の前に実体として存在している。
だというのに、その正体は手を伸ばす度に朧気に霞んでいく。長く見つめていればいるほど男の輪郭は曖昧になって、安室を苛立たせた。
気を抜けばその背後にスコッチが立っている幻覚にすら襲われそうになる。
だが、当然ながら男は一人で、頬の火傷を笑みの形にひきつらせながら路地の入り口に立っているだけだ。
名も知らぬ男の背後で爛々と満月が輝いていた。

『今の話じゃ、そこのイカれた野郎はパッソアの知り合いってことになりそうだが?』

「その推論が妥当だとは思うんですけどね……だが、どうにも…………」

『バーボン、何が気になっている?』

「……パッソアの行動はわかりやすい。おそらくなにか理由をつけてカーディナルをあの部屋に呼び出し、殺したのでしょう。持ち出されたカーディナルのスマホにパッソアからの連絡でも入っているはずですよ……。渡すUSBを間違えたから、とでも言えば自然に密会に持ち込めます。その程度のヘマならカーディナルも黙っているでしょうし……」

「ヘマがばれたら二人まとめて銀色のおにーさんにぶち殺されそうだもんねぇ」

『そいつのふざけた言葉は今は流してやる……おい、それでそこになんでそのイカれた野郎が絡む?そのまま隠し通路で逃げりゃあいいだけの話だろ……』

「自分の罪を着せるため、と考えられます…………隠し通路は組織も存在を知っていますから。そこに逃走の痕跡を残してしまうとも限りません。それを見逃す貴方でもないでしょう」

フン、と鼻を鳴らしてジンは無言の肯定を返した。

「この男が犯人として挙がったからこそ通路の方は大して調べられないまま放置されていた。パッソアはそれを狙った……と、理由をつけることはできます……。ですがどうにも…………貴方の存在だけがしっくりこない」

「俺はあそこに呼び寄せられただけのパッソアの知り合い――だろ?」

「貴方は、ただの『知り合い』というには知りすぎている」

「……………………」

男の笑みが固まった。
ように安室には見えた。

『バーボンの存在を知っていたようだしな……』

「それもありますが――」

「潮時だな」

その一言は、不気味に夜闇を貫いた。
同時に空気が筒から勢いよく抜け出したような音が響く。静かな夜中でも目立たない音だった。
撃たれた。サイレンサーに押し殺された銃弾の音だ。
どこを撃たれたのかもわからないまま安室は立ち尽くす。

『バーボン!今の音は――』

ジンの声に安室が我に返るよりも男の方が早かった。
特段と忙しない動きであったわけではない。だというのにあっという間に男は安室の目の前に立ち、通話中のスマートフォンをその手から取り上げた。
ピッ、と電子音が冷たく響く。

「――くっ!」

「おっと」

このまま殺されてたまるものかと男を蹴りあげる安室。
だがその動きは読まれていたかのように軽くいなされた。振り上げた足を掴まれ引っ張られれば安室は体制を崩すしかない。背中からアスファルトに飛び込んだところで、男の足が安室の胸元を地面に縫い付けた。
奇しくも。
あの呪わしい夜の再現だ。
スコッチから来たメールを守ろうとしたあの夜、安室は必死でスマートフォンを守っていた。
今回はその通信機器すら奪われ、脳に銃口が突き付けられる。

「く、そっ……」

「形勢逆転……って今回は違うな。俺がずーっと優位だもんなぁ」

「『バーボン』はもう用済みというわけですか……」

「そうじゃない。そうじゃないけど」

そう言いつつも男は銃口をぐりぐりと褐色の額に押し付ける。
至近距離でまじまじと安室の顔を覗きこむ男。
安室もまた、帽子の影に覆われていた男の顔をはっきりと目にする。
目の下がどす黒い。
そして瞳の色が赤い。
まるで化け物だ。
『カラーコンタクト』とその答えがでる一瞬前に、そんな考えが安室の頭をよぎった。同時に怯えた表情が探偵の顔を横切っていった。

「俺的にはここまでで十分だから。後は黙っててもらおうと思って」

「……その正体、知られたら随分と困るようですね」

「んー……今さらどうでもいいかな、そこは。ただ、今日はここでお仕舞いってだけさ」

「では、教えてもらえませんか?貴方の正体を……」

「この状況でも好奇心は抑えらんないんだね」

さすが探偵。
男の笑みが不気味に広がった。
……本当に今、うまく笑えているだろうか?


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