きみをぼくが殺すという覚悟 (5/7)
「いえ、あの部屋に居たこと自体おかしいんです」
すぅ、と息を吸う探偵。
興味深いとばかりに男はただ静かにバーボンの推理に耳を傾けている。
「カーディナルはホテルの外でUSBを受け取っているんですから」
「…………へー。そうなんだ?」
男がわざとらしく驚いた顔を作る。火傷の跡が醜くひきつったが、気にした様子もない。
まるでこの男には痛覚というものが存在していないかのようだった。
飄々とした態度に不釣り合いな、わざとらしい驚愕に安室は男の真意を見失う。
この男がどこまで知っているのか安室にはわからない。
ひょっとすればこの男の思惑通りに手のひらでもてあそばれているかのような悪寒が安室の首筋を走る。
「……パッソアがあのホテルに寄る予定はありませんでした。だというのに灰皿は隠し通路と通じるあの部屋に移動していた」
それでも推理は続けなければならない。
男の手に銃が握られている限り。
その銃口が『ポアロ』を狙う可能性がある限り。
「タバコを吸わない奴が、わざわざ隣の部屋から灰皿をあの部屋に持ってきてたってことは……んー、どういうことになるんだ?」
「簡単な足し算ですよ。あの部屋に、それも隠し通路を通じてタバコを吸う男が来る……もしくは来ていた、ということです」
「あー、俺にぶったたかれたおにーさんとか?」
『ぶっ殺されたいのか……』
「おお、こわっ」
わざと惚けているならこの男は相当に肝が座っている。
「ジンがホテルに到着したのはカーディナルが殺された後ですよ……。ホテルの正面入り口から入ってきていますしね……。それにジンは直前まで現場の指揮をしていたとパッソアとウォッカから聞いています」
「アリバイがあるってやつか」
「予定よりも随分早くホテルに向かったそうですけどね……」
『あの時、パッソアの奴はどうにもキナ臭かった……。念のためスケジュールを早めたんだよ……』
「そうしたらホテルでカーディナルは殺され、見知らぬ男が拳銃を手にもって立っていた」
「俺だな」
安室は慎重な目付きで男を睨み付けた。
「USBに入ってた銘酒百選の中身は確認しましたか?」
「えっ、そんなものが入ってたの」
「いえ、はったりです。あの中身は僕も知りません」
「――お上手で」
飄々とした男の顔が刹那だけ驚愕に彩られる。
しかしそれも波が引くように静かに消えていった。呆気なく引き下がった感情に安室はわざとらしさすら感じた。
くつくつと喉で笑う様子は機転の利いた質問に感心しているようにもみえるが、はっきりとした心情は浮き出てこない。
「おにーさんはさ」
軽薄に男はそう呼びかけた。
「俺がスコッチ君とランデブーした車が誰のものか知ってる?」
その質問がどれほど安室の神経を逆撫でするのかわかっていて、問うのだろう。
「……貴方を追っていたパッソアのものだと聞いていますが」
「その車は見つかった?」
「…………いえ」
『……………………』
「じゃあこれ、あげるよ。調べたら面白いことがわかると思う」
微塵も揺らがない銃口は安室に突きつけられたまま。
そのままの体勢で、男は懐から取り出した紙片を安室に投げ渡す。くしゃくしゃに丸まったそれは危うげなく探偵の手に収まった。
開けばずらりと並ぶ数字。
七桁と五桁の二種類の数に安室は何の暗号かと身構える。だがすぐにはっと気付いた。
「住所……」
「遺棄した場所ってやつかな。山の中だからそっから見付けるのは大変だろーけど、おにーさんならなんとかなるだろ?」
あの廃ビルから男が逃走する際に使用した車。その車の在り所が小さなノートの切れ端に記されている。
「楽しい推理が聞けたからさ。お礼に、ね?」
「『楽しい推理』ね…………」
その言葉に安室はひっかかりを感じた。
「これでめでたく、ケースクローズド、ってわけだ」
「…………いいえ、まだ終わってませんよ」
「ん?真犯人はわかったわけだし、こうして証拠もそろいそうなわけだし。足りないのは……あ、動機?」
「それは自ずとわかるでしょう。パッソアが真犯人であるのなら……」
『バーボン、テメェの推理がたわごとじゃないならな……』
「組織がパッソアを見逃していたのは間違いはありません。ベルモットが知り得ない証拠品……灰皿をパッソアが凶器として認知していた時点で、彼がこの事件に無関係ということはありえないでしょう……。パッソアはあの部屋にいたんですよ。カーディナルが殺された部屋に、あの日……」
『フン。叩きゃあいくらでも埃はでてくるってわけだ……』
「ええ……問題は」
「?」
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