きみをぼくが殺すという覚悟 (2/7)



次いで響いたバイブ音に安室は反射的に身をこわばらせた。スマートフォンの無機質な振動が路地裏に伝う。

「おにーさんの、鳴ってるぜ」

「………………」

何の汚れがついているかもわからない壁に男は寄りかかり、腕を組んだ。
今このスマホを安室が取り、不都合になるのはこの男の方ではないのだろうか。安室のスマホを鳴らしているのが今誰であれ、闖入者が現れるのは喜ばしいことではないはずだ。いつかの廃屋で現れたスコッチのように。
それともこの狂気を滲ませた殺人鬼は、誰であろうとも殺せばいいとでも思っているのだろうか。

「電話、出ないの?」

「……出てもいいんですか?」

「どーぞどーぞ」

何がおかしいのか、男はケタケタと笑った。右頬に走る火傷が笑みのかたちに歪む。
言い知れない嫌悪に安室は口元をひきつらせた。
仕方なしにエプロンの下の胸ポケットにしまわれていたスマホを取り出す安室。
そして画面一杯に表示された着信元の番号に目を見開いた。

「ジン……?」

安室はジンに疎まれている節がある。そうでなくても慎重なあの男が連絡を自ら取ることは少ない。
嫌な予感に襲われて、ゴミ捨て場に寄りかかる男を見る。
ふてぶてしく構える男の口元には緩い笑みが浮かんでいた。
安室の手が恐る恐るコールを取る。

「どうかしましたか?」

『ベルモットが奴の元から逃げ出した』

「……そうですか。無事で何よりとお伝えください」

『お前に代わりに謝っておいてくれと言われたが……心当たりはあるか』

「…………なるほど。実は――っ!」

瞬時に安室は今の状況を理解した。
電話越しのジンの声は、今向かい合っているこの殺人鬼の耳にも届いているだろうか。いっそう鋭くなった安室の目付きに男はひょい、と肩をすくめる。聞こえているらしい。
そのまま自然な動作で銃口を突きつけられ、安室は息を詰まらせる。だぼっとしたジャンパーの下にでも隠し持っていたのだろうか。
銃口が通常の拳銃よりも長い。ご丁寧にサイレンサーで消音対策までされていることに気付き、ぶわりと冷や汗が吹き出す安室。
人を殺す趣味もいたぶる趣味もないと言ったこの男の言葉をどこまで信用したものか。知らずのうちに安室の喉がごくりと鳴った。

『…………バーボン、どうした』

「……………………」

『おい』

男が顎をしゃくる。
続けろという合図だ。

「すみません……少し…………心当たりがあったもので」

『奴の狙いは相変わらずお前か』

「…………そうですね。一つ、整理させてください」

なるほど、ともう一度安室は胸中で呟いた。
だからあの時、男は『名探偵』に固執したのだ。そして倉庫街で自分もろともスコッチを焼いてからは行方をくらまし、今になってまた安室の前に現れた。
たった一つの勘違いから逃れるためだけに。
しかし、だとしたら相当にこの男は不幸で、イカれている。

「ベルモットがカーディナル殺害に関わっていると報告をあげたのはパッソアですね?」

『ああ……』

「パッソアが偶然拾った凶器をベルモットが強引に強奪、そして逃走。ベルモットの逃走をパッソアが報告したところ、その凶器がカーディナル殺害事件に関わっていることが判明した」

『うさんくさいところはあるが、大筋は間違ってねぇだろ。現にイカレ野郎本人がでばってきてるんだからな……』

「ジン、この凶器とはカーディナルを殺した拳銃ではありませんね?」

『……………………』

「パッソアが強奪されたと言ったのはクリスタル製の灰皿だ。違いますか?」

『……そこまでは伝えていないはずだが』

「ホテルからなくなっていた唯一の備品でしたから。ずっと疑問だったんです。カーディナルは拳銃で心臓を一発撃ち抜かれた以外の外傷はなかった。だと言うのに犯人はあの灰皿を持っていった。しかも元々あの灰皿は殺害現場の隣室にあったものです」

『隣室のものだと……?』

「ええ、パッソアが今になって見つけたという灰皿は元々あの部屋にあったものではりません」

そうですね、と安室は目線で男に確認を取った。
返事を返す代わりに男は小さな笑みを返す。ジンに自分の声を聞かせるつもりはないらしい。
推理が始まっても男は止めようとはしなかった。
なら、安室に今求められているのは『名探偵』としての役割だ。
このイカレた男の目的を安室は当てなければいけない。

「犯人がわざわざ殺害現場の隣室から灰皿を持ち出した理由がずっとわからなかったんです。でも、あるはずのない場所にその灰皿が置いてあったのなら話は単純だ」

『そこにあると知られると、不都合な理由があったからだな……』

「はい。ジン、貴方を昏倒させたのはあの灰皿ですね?」

『…………』

答えないジンの代わりに黒帽の男が片手で丸を作った。
ジンを昏倒させた本人からの自供だ。


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