大凶ヒーロー、迷える子羊を諭す (1/3)



とりあえず言い訳をさせてくれ。
病院って、どの通路も似たようなものだろう?階段の踊り場も全部似たような形をしていて、よっぽど注意深くしてなけりゃ、自分がどこにいるかなんてすぐわからなくなっちゃうじゃないか。
しかも、俺は昨日までずっと寝たきりだったんだ。
医師からようやくゴーが出て、リハビリがてらに自販機まで飲み物買いに行ったら、自分の部屋を忘れちゃったなんて普通のことだと思う。だから、見覚えのある風景を辿っていて病室の扉を開けたら違う人の部屋だったなんて、よくあることだと思うんだ。
508号室を408号室と間違えて覚えているのも、よくあることだよ。うんうん。
だから、俺は悪くないと思うんだ。

「あ……」

悪いのは、誰でも自由に出入りできちゃうような部屋で、明らかにヤバ気な薬品をティーカップに塗っているおねーさんの方だよね?

「ああ……すみません。病室、間違っちゃったみたいで」

「い、いえ……あ、あの…………」

激しく動揺しているおねーさん。
そこはしれっと、「何見てんのよ!」って言い返してくれよ。あからさまに見られちゃやばいものを見られた、みたいな顔するなよ。気まずいだろ。

「俺、何も見なかったことにした方がいい?」

「ひっ…………」

顔を青ざめさせ、反射的に逃げようとするおねーさん。
やめて、神崎君が化け物みたいな反応は。普通に傷ついちゃうわ。
神崎君、この事件知ってる。漫画でこのおねーさん見たことある。
今は緋色編直前かー、そっかー。わかってヨカッタナァ。嬉しすぎて涙がじわっと出てきちゃいそう。
たしかおねーさんって年でもないんだっけ、この人。綺麗な黒髪を背中でくくって、肩に垂らしているから少女のような雰囲気を漂わせているけれど。仕草は子持ちのお母さん、って感じだ。実際にそれくらいの年だった気がする。
見るからに穏やかそうな人なのに、どうしてコップのふちにせっせと怪しいお薬を塗りつけているのか。

「なになに、痴情のもつれ?愚痴くらいなら聞いてあげよっか?」

「ち、違います!!」

「ホントだ、そこに置いてある高そうなバッグ、お友達の?男物ではなさそうだよね」

「!!」

あまりにも気まずくてつい、突っ込んでしまったが選択肢を間違えた気がする。
これは何事もなくドアを閉めるのが正解だったのではないだろうか。
だが乗りかかった船だ。もっと聞いちゃう。

「お茶、好きなの?」

「で、出ていってください……!あなたは何も関係ないでしょう!!」

控えめな声でぴしゃりと拒絶される。
ごもっとも。

「おねーさんの名前すら俺は知らないけどさ。でも、殺人が起きようとしているとこを見て見ぬふりって、夢見悪くなりそうじゃない?」

「殺人……」

声に出したことで、改めてその言葉の重さに気付いたのだろう。
カップに薬品を塗っていたおねーさんの手が震える。
見た目通り、この人は普通の人なんだろう。よほどの事情でもない限り、人を殺せるような人間ではない。

「ねえ、おねーさんっていい人ってよく言われない?」

「え……?そんなことは……」

「そうかな。見るからにいい人っぽいけど」

タレ目がちのおっとりとした目。よく見れば笑いジワが浮き出始めている口元。
おどおどとしていて自信はなさそうだけど、だからこそ悪いことをしようと思うような人には見えづらい。

「だから、よっぽど腹に据えかねた事情でもあったのかな、って思ったけど。どう?」

「……………………」

「ワトソンくらいには俺、なれそう?」

軽くウィンクを飛ばしてみれば、はっきりとおねーさんの肩から力が抜けた。
しかしそのまま暗い顔で俯いてしまう。
フチに薬品べったべたのティーカップを握りしめながら、おねーさんは唇をかみしめた。
しばらく沈黙が落ちる。

「……人生が、台無しになったの」

「………………」

重い。
待って、思ったより語り口が重い。
神崎君まだそんな重い話を聞く覚悟決まってない。

「こどもはインフルエンザで受験に失敗して……私も流産してしまって」

「うん………」

おねーさんのカップを持つ手が震えている。
俺の手も震えそうよ。
立ったままでいると武者震いが起きそうなので、遠慮なくおねーさんが座るベッドの上に腰掛ける。
おねーさんの隣に座って、震える肩を優しく叩いた。俺の指先もちょっと震えてる。
ちょっとヘビーすぎやしませんか?
名探偵の世界だと全然軽い方?あ、そうですか……。

「最初は運が悪かったと思っていたんです」

「………」

「でも、違った」

割ってしまうんじゃないかって程強く、おねーさんはコップを握りしめた。


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