走馬灯 (1/1)



走馬灯って奴だろうか。
どこまでも青い空が嫌にくっきりと瞼に焼き付いていた。
夏の雲は綿菓子みたいに白く、大きく。太陽は不可視の光線を幾条も放ちながら、直視に耐えないほどに光を乱反射させている。
今、目の前にはこの青空以外のものは何もない。
死にたくなるほどに美しくて。もしこのまま地上に戻ったら、俺はきっと泣き崩れてしまう予感があった。
でもきっと戻るのは無理だ。
数秒前のあの子の驚いた顔が脳裏をちらつく。思いっきり突き飛ばしてしまったけれど、怪我はないだろうか。いや、あの勢いじゃあ擦り傷くらいは付けちゃったか。
女の子に傷を付けるなんて男の風上にもおけない行為だけど、そのおかげであの子の命が助かったと思えば、俺のちっぽけなプライドくらいどうでもいい。
俺の大凶だらけだった人生も…………まあいいか。
どうせ死ぬまでにどうしてもやりたいことなんてなかったんだ。どれだけ格好悪くたって、好きな子を守って死んだと思えば少しは誇ってもいいだろう。
着水まであと一秒。
岩だらけの海岸線から高波にさらわれて、ふっ飛ばされてからどれだけ経ったのだろう。随分と長い夢を見ていた気がするが、実際にはほんの数秒なんだろうな。
これで本当に終わり。
派手な着水音と共に俺の肺は塩水で満たされた。
水面に打ち付けられた衝撃で手足はこれっぽちも動かなくって、どんどんと遠ざかる白い陽光だけを漫然と見つめる。
地上に居たときはあんなにも眩しかった太陽が、とてもやさしく海中を照らしていた。息は苦しいけどまるで天国みたいな光景だ。
通り過ぎていく小魚の集団は現実世界とは思えないほどに幻想的で――


……ん、異世界?
はっと我に返った俺は何故か車内に居た。重い車体がゆっくりと水底へと沈んでいく。
随分と長い間茫然としていたのか、息が非常に苦しかった。
死ぬって。これマジで死ぬって!
慌てて開きっぱの扉から車の外に出て、水面を目指す。このまま茫然としてたら走馬灯に殺される!
スコッチが無事に逃げ出せたかどうかも知らないってのにあっさり死ねるかっての!
あの時はぴくりとも動かなかった手足をばたつかせて地上を目指す。バタバタしたせいで辺りが泡泡だ。
通りすがりのお魚さんが慌てて逃げ出していった。
騒がしくしてごめんよ。でものんびり泳いでたら神崎君溺死しちゃう。
思いっきり伸ばした指先が、空気に触れた。

「―――っぷはぁ!!!」

死ぬ!
久方ぶりの空気だあああああああ!!!もう無理これ以上酸素足りなくなったら死んじゃう!!
ややおかしな具合にハイテンションな頭を落ち着かせながら、思いっきり息を吸う。
今更ながらに心臓がバクバクしてきた。あんな長時間水の中に居たら死ぬって……。
早く水から出なきゃいけないのだが、体が動揺していて動かない。仕方ないのでその場でプカプカと浮いてみた。

「あー…………死ぬ」

むしろもはやこれは死んでいるのでは。
殺人犯(冤罪)になったり犯罪者(主に傷害罪)になったり、死ぬ気で救済フラグ打ち立てるはめになったり……踏んだり蹴ったりだ。
これでスコッチが死んでたらマジで泣くぞちくしょう。
赤井さん、信じてるからね!あとバーボン君はちゃんとおうちに帰してあげてね……!
どっぷりと陽が落ちた空には丸い月が浮かんでいる。今日は満月のようだ。
あ、ハングライダー飛んでった。怪盗キッドみたいに白い奴だなー。
このご時世にハングライダーなんて飛ばすやつがいるとは。後でニュースにでもなるんじゃないだろうか。俺のこともニュースになってたりして。
『○○大学の男子大学生一名が昨日、逗子海岸でボランティア活動に勤しんでいたところ高波にさらわれ行方不明となりました』みたいな。

「なぜか海じゃなくて川に今いるけどなー」

トリップマジックとか言うやつか。明らかにトリップした場所と帰ってきた場所が違うんですけど。
どこだ、ここ。
なんとか首を伸ばして、周囲の建物を見てみる。
見上げたビルのてっぺんには『米花町ビル』なんたらかんたらと書いてあった。
そっかー、ここは米花町かー。



……って、元の世界に戻らないんかい!!!


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