silly game (2/2)
――続くコール音。
君はいつも俺からの電話にでない。でも留守電を残せば聞きはする。
君がこれを聞くのは俺が影もなく消えた頃だ。
「ジン、愛しているよ」
聴く人など誰もいない言葉を受話器に向けて囁く。
「だから君に殺されるわけにはいかないよ」
掛け値なしの本音がこぼれる。
二日後、俺はあの冷たい男に殺される。
少しばかり遊びがすぎたらしい。裏社会の組織を渡り歩いていることがバレて、スパイの疑惑をかけられるようだ。
疑惑の種を俺の命ごと容赦なく刈り取るジンの未来を読んでから、俺はすぐさま高跳びの準備をした。いつものことだ。
まだ組織は俺のことを疑ってさえもいない。
姿を安全にくらませるのならば今のうちだ。他人の千里先を歩くことなんて容易い。
適度な火遊びをして、危なくなったらさっとかわす。そんな人生を、俺は愛している。
こういう時は死んだことにするに限る。前回は事故死だった。その前は確か転落死。今回は溺死とかどうだろうか。
眼に映った未来の俺は海岸から飛び降りた後も、辛うじて生き延びている。
なら、大丈夫だ。
俺が死ぬのは今日じゃない。
未来に導かれるまま、人気のない夜の海岸にたどり着く。
ここから飛び降りたらうっかり助からないかもしれない。強く岸壁を削る波にわずかに怯みそうになる。これもまたスリルの一つだ。
俺は自分を信じなければ、ここから飛び降りることすら難しい。特にこんな、鳥の鳴き声すらも遠い、一人の夜は。
遠い昔、どこかで抱いていたかもしれない後悔を思い出しそうになる。
反射的に握りしめたのは俺の携帯だ。角が丸まりはじめた端末に登録されている番号は一つだけ。密会のためだけの通信機だ。
置いていくつもりだったのに何故かここまで持ってきてしまった。
指が、勝手にかあの男の電話番号にコールをかける。
鳴り続ける電話。冷たくぷつっと切れる呼び出し音。留守電の合図ですらそっけなさすぎる。
しばらく呆然と受話器越しの静寂も波の音を聞いていた。
なにか喋らなければと口からついこぼれた言葉が『愛している』だった。
ああ、言ってしまった言葉を取り消せない。
すとんと胸の中に落ちたその言葉は後悔の苦味がした。それでいてどこか、ほろあまい。
もう一口と煽るようにするりと本音が溢れだしてしまい。
「…………愛している君を、泣かせるわけにはいかないからね」
咄嗟にありていな嘘を付け加えた。
君が泣かないなんてこと知っている。
君が俺を冷たく殺すことを知っている。
読んだ未来を思い通りに覆すには入念な準備が必要だ。
手を尽くして、策を弄して、それでもどうしようもない未来ってのもたまにある。
これもそういう類いだ。
何より、未来を操ることと人の心を操ることは違う。
たとえ今回を切り抜けたとしても、もう意味などない。
愛していると告げた方が負け。
これはそんなゲームのような恋だったから。
そういえば、君に愛を告げたのはあれがはじめてだっただろうか?
「だから俺は、」
言葉は決まっているのに声がでない。
何度も試した。でも呼吸がつまったような音がでた。
長い沈黙。まるで海鳴りの音を記録するかのようにしばらく俺は黙りこんでいた。
「……君から逃げるよ」
ぽつりとこぼして携帯の電源を切る。きっと君がこの懺悔を聞くことはないだろう。1分、いや30秒の沈黙が流れた時点で再生をやめて、メッセージを消去する。携帯は海辺に置いていかれたのだと判断して。
そして俺のいた痕跡ごと指先一つで消し去るのだろう。
さあ、準備はできたと崖縁に立つ。
大丈夫。
何度も読みなおした未来をまた読んで、『確かめる』。
大丈夫、俺はまだ死なない。
何度やっても慣れないこのスリルに対する怯えをねじ伏せ、確信に変える。
手先の震えは前回よりもひどい。思わず笑ってしまう。
未来を変えるのがこんなにも怖いと思ったのははじめてだった。
「足がすくむくらい、死ぬのが怖いだなんてはじめてだよ」
誰となく呟く。
さあ。
俺は君が殺しそこねた男になる。
君が頭部を吹っ飛ばせなかった男。
その小さなヒビを君が抱き続けてくれればいいと思う。
血の代わりに甘い悪夢だけを滲ませる小さな傷口になりますようにと。
そんな想いを確かに俺は恋と呼んだ。
不意に現れる悪夢に俺は君の姿を見るだろう。
だから俺は願おう。
君といつか同じ悪夢を見れますようにと。
わかりきった答え合わせから逃げるかのように、そして俺は夜の海に飛び込んだ。
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