ウィルオーウィスプの声を聞け (1/1)


本編ネタバレ注意
特殊設定主、名前変換なし


生まれ変わった感覚って言うのかな。そういうのはなかったんだ。
気が付けば僕は存在していたし、僕は僕でしかなかった。生きているのか死んでいるのかさえもよくわからない状態であちこちをフラフラと歩く。
見て、壁だって通り抜けられるんだ。空も飛べる。逆に地面に沈みことだってできる。
でも、人の目に映ることだけは。健全に生きている人間の目に映ることだけは僕たちにはできない。
それを嘆く奴はいない。だって生まれてからずっと僕たちはそういう生き物なんだから。同族同士なら普通に言葉を交わせるのだから、わざわざ人間なんてものにこだわる必要はない。
僕だって別に、自分を通り抜けていく人ごみに今さら悲しさを覚えたりはしない。
ただ、寂しさが。
一抹の寂しさみたいなものを感じてしまうことがあるのは間違いなく『前世の記憶』ってやつのせいだろう。
不思議な感覚なんだ。
生まれた感覚も、死んだ感覚すらもないのに、自分ではない誰かとして生きた人生を確かに認識できる。
しかもそいつは時にうるさいくらいに僕の半透明な心臓に訴えるんだ。なになにが恋しいとか、だれだれの目に映らないのが悲しいとか。
僕はちっとも悲しくないのに涙だってでるんだよ。あのときは同族たち全員でひっくり返ったよ。僕たちの中で泣いたことがあるのって僕くらいなんじゃないかな?
ねぇ、ほら。
思い出しただけで僕の記憶がぽろぽろ泣いている。僕はね――あ、『記憶』の僕はね、屋上から空を飛ぼうとして落ちたんだ。
あれ、どこか別のところに行こうとしてたんだっけな。よくわからないけど、人間ってたまに僕たちには憧れて真似っこするだろう?そんな感じで僕も飛び降りて、でもどこに飛べなくって…………うん。
これを『死ぬ』って言うのかな?
だから屋上に来ると無性に僕は悲しくなってしまうんだ。だというのに何度でも記憶のやつが僕にせっつくからさ。
ここにはよく来るんだよ。墓場からも遠いから同族たちとも会わないし。涙を流すって、すごくカッコ悪いだろう?たとえ見えていなくとも人間にだってあまり見せたくないんだ。
だから僕が今、君に泣きながら話しかけているのもフカコウリョクだ。せっかく見つけた人通りのないこの屋上に君が突然現れて、『死にかけて』いるのが悪い。八割は君のせいだ。残りの二割かい?それは僕の『前世の記憶』のせいさ。

「……………………な……え…………宙に浮いて…………?」

それはもちろん浮くさ。僕たちそういう生き物なんだから。
呆然と僕を見上げている男にそう答えて、僕はひとまず地に足をつけてみる。地面の感覚なんてありゃしないが、昔人間だったおかげで気分だけは落ち着く。
――で、君はなんで死にかけているんだい?
思念を飛ばせばびくりと反応する男。聞こえているらしい。人には聞こえないはずの僕の声が聞こえている。不思議なことだ。
生きている人間と僕たちが混じりあうことはないのに、死の間際にいる人間となら語り合うことができるだなんて。
そう、たとえば死の運命にみいられた人間とか。彼らは血を流していなくとも、致命傷など負っていなくとも、その運命の先に死が待ち受けているのならばそいつは僕たちの領域の仲間入りだ。
死の間際、不運の予兆、走馬灯の運び手。

「それが僕らウィルオーウィスプさ」

思念を飛ばす代わりに口を動かせば声が出る。声帯が震動する感覚を懐かしいと思える僕は同族たちの中で間違いなく異端だ。

「ウィルオーウィスプ…………」

「スコッチ?何を見ている?」

僕の声が大気を震わしていると感じるのはほとんど錯覚らしい。やはり僕の声が聞こえているのはスコッチと呼ばれた方だけだ。もう一人の髪の長い男の人は僕の方を少しだけ振りかえってすぐに視線を戻した。
二人の間には一丁の銃。銃口はスコッチに突きつけられているが、引き金を握っているのもスコッチ自身だ。
屋上まできてわざわざ銃を使って飛ぼうとするとかなんて不思議な生き物。その心臓を撃ち抜いたところで、来世がどうなるかなんてわかりもしないのに。命が確かに絶える保証だって。

「ライ……お、俺は頭がおかしくなったのか?」

失礼な人間だ。
ただ認識が不平等であるというだけで存在を疑うなんて。目に映っているはずなのに何故か認識できないものなんてたくさんあるはずだ。酸素とか、気流とか、死相とか。自然界は見えないものだらけだろう?

「…………不安がることはない。さあその引き金から手を離してもらおうか」

「それは無理なんじゃないかなぁ」

スコッチの目に僕が映っている。
それはつまり彼が今にでも死ぬってことだ。病、事故、他殺。理由はなんだって考えられるけどこの場合は随分とわかりやすい。
そして僕が声をかけて動きを止めてもスコッチの目には僕の姿が映り続けている。その指に引き金をかけたまま。それはつまりこの後、誰にも予想だにできなかった出来事が降ってくるってことで。
遠くから誰かの急ぎ足が聞こえてきた。僕はそちらの方、階段の方へ向かう。

「死相を覆すってそんなに簡単じゃないんだ。でも……」

僕が浮遊移動をするのに合わせて一人ぶんの視線がついてくるのを感じた。
そう、問題は引き金が引かれる『原因』だ。銃か、階段を登ってくる彼か、それとも別のものか。けっきょく僕に未来を読むようなチートなんてないから、一つずつしらみ潰しに取り除いていくしかないんだ。見ず知らずの人間が死に行くのを留めるには、それしか。
それでいて、生き残ったやつらには死神だなんだの言われるんだぜ。ひどい話だろう?
まいどまいど、嫌になる。嫌だと僕の記憶が騒いでいる。動けとせっついてるのはやつの方だと言うのに。

「死に向かう人間を見てると何故かイライラするんだよねぇ」

その理由を今生の僕が理解する日は来ないだろう。それはただのかつて僕であった人間の名残でしかない。そんな残りカスがそれでも今の僕を動かす衝動になるんだから不思議だ。
近付いてくる足音に向かっていって、その闖入者を見下ろす。思っていたよりも爽やかそうな男だった。金だか白だか、色味の薄い髪の、焼けた肌の人。少しでも早くと必死に階段に登っていて、なんだか見ているだけも可哀想に思えた。
ああなんだ、君も僕と同じ死神扱いかい?

「君に不幸をあげる」

足音が聞こえたんだろう。二人の男が屋上で顔をこわばらせる。
その目の前で――ああ、片方は僕の姿なんか見えていないけど――僕は階段を登ってくる彼を待ち構える。腕を広げて、彼が飛び込んでくるのを待つみたいに。

「運命をねじ曲げるには犠牲が必要なんだ」

時が止まったかのようなドラマチックなワンシーン。カンカンと鉄パイプを蹴っ飛ばすような音だけが空間を占める。音をたてて白色髪の彼が階段を駆けあがってくる。
次に何が起こるのかと固唾を飲んで見守る観客。僕と、スコッチと、そして黒髪のライという人間。
開演ブザーの代わりに小さく小さく金属が擦れあう。刹那の攻防戦。引き金を引こうとした音とそれを止めた音。ライとスコッチだ。僕というイレギュラーのせいで膠着した事態。この手詰まりを打ち破る音が屋上へと一線に駆け上がる。
白い髪が踊るように画面に映り込む。ステップを蹴り飛ばして正面に飛び込むようにして。真打ちの彼が僕の両腕の中へと身を投げた。
それはまるで死神の腕に抱かれに向かう主人公のようで。

「――ダメだ、バーボン!!!」

スコッチの悲鳴のような警告が上がった。

「そこから離れろライーーーーっ!!」

スコッチの警告をかき消すようにバーボンと呼ばれた人が声を張り上げる。階段を蹴った彼の足が宙に舞って、錆びた屋上に着地。
立ち塞がる僕の目と鼻の先に立っていても、僕の存在には気付かずに腕を振り上げ。地面を蹴りあげ。一直線にスコッチへと向かい。
そしてすり抜けた。

「――君は、誰だ?」

ライと呼ばれたあの長髪の男がそう問いかける。僕は振り向かないまま、バーボンが登りあがった階段を見下ろした。
僕の姿は人間の目には映らない。触れることもできない。
だけど、死の瀬戸際にある人間にこの声を届けることはできる。その一声で何が変わるかなんて僕にはわからないけれど。
これで僕の姿が見えなくなってくれればいいのに、と願った。
白髪くん、君は死神ではないと信じていいんだよね?
そう願って、ゆっくりとスコッチの方を振り返り。
ぽかんとしている三人の男と目があった。

「…………君は、何者だ?」

慎重にライが訪ねる。その質問は二回目だ。
僕の姿が見えているのかい?
思わず思念を飛ばせば頷く三人。こんなにたくさんの人間の目に映るのははじめてだ。
これは、ええっとつまり。僕がするべきは。
死の間際、不運の予兆、走馬灯の運び手。

「それが僕らウィルオーウィスプさ」

誰かと問われれば答えるのがお約束。僕らはウィルオーウィスプだ。それ以外の何物にもなれない。

「ウィルオーウィスプ……?」

妙なものを聞いたというようにライが呟き、スコッチに何かを問いかけるような視線を送った。そのライにバーボンが説明を求めるような険しげな視線を送る。
お手上げだとばかりにライは肩をすくめた。

「死の間際の運び手ということはだ。俺たちは今死にかけているということか?」

「そういうことになるんじゃないかな」

「宙に浮く人間……随分と非現実的な話ですね……」

「けど、ふる……バーボン。おまえ、今そいつをすり抜けてきたぞ……」

「…………なるほど。スコッチが先ほどから見ていたのは君か。だが何故スコッチだけに見えていたものが急に……?」

「君が今言ったじゃないか。『死にかけている』からだよ。僕たちの姿を見れるのはそういう人間さ」

問題は彼らの『死因』だ。そのヒントはこのタイミングで僕の姿が彼らの目に映るようになった原因だ。
思い当たるそれなんてたった一つだけで僕は頬をかいた。宙を掻くような感覚が指に返る。そうか、僕に実体なんてないから頬を掻いても意味はなかった。

「死を告げるウィルオーウィスプ……まるで警告夢だな」

「三人全員で白昼夢か幻覚を見ている……というのはどうですか?」

「いいストーリーだが役に立ちそうにはないな。一部の人間の目にしか映らない何者かが今目の前にいることだけはこの際、認めた方が良さそうだ」

「貴方がオカルト好きとは意外ですね、ライ?」

「普段ならば熟考したいところだがな。残念ながら今は余裕も時間もない。地上をさ迷う愚者火の警告が本物ならば急ぐ必要があるようだ。スコッチ、たてるか?」

「あ、ああ…………」

どこか夢見心地でスコッチが頷く。差し出されたライの手を取り、立ち上がっては何とも言えない視線を僕、ライ、バーボンへと順々に向けた。
さっきライとスコッチが奪い合っていた銃はライの手の中だ。これでスコッチがすぐ自分に向けて引き金を引いてしまうことはないだろう。僕の姿が見えている以上、根本的な解決にはなっていないわけだけど。

「ライ、貴方は……」

「君の想像通りだ、バーボン。恐らくはな」

「……わかりました。ならば、スコッチからは手を引いてもらえませんか……」

「まあ、待て。一ついい案がある」

僕には意味がわからない会話をバーボンと交わしていたライが僕に向き直る。

「ときにウィルオーウィスプの君。俺が君と取引がしたいと言ったらどうする?」

びっくりするかな。

「驚く程度で済むならば問題はなさそうだな。君にも協力を頼みたい」

三人全員に死相が浮かんだ遠因を辿れば確かに僕の行いにたどり着くのだろう。
当然のように僕に差し出されたライの握手を見下ろす。
これは僕が責任を取らなければいけない流れだろうか?


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