沖矢昴の嗜みその2 (1/1)



原作ネタバレ注意
特殊設定故に夢主の名前変換なし
「沖矢昴の嗜み1」の続き


深煎りの豆をゆっくりと抽出する。
香り高い苦味を包むように数滴ミルクを垂らす。白い湯気が広がるとともに、白と黒がカップの中で渦巻いた。
やわらかな焦げ茶色のカフェオレに会心の笑みがこぼれる。舌先で転がせば甘い苦味が鼻腔まで広がった。

「ボウヤもコーヒー飲むかい?」

「人の家でくつろぎすきじゃない……?」

「コーヒーには少しばかりこだわりがあってね。もし飲むようなら、もう少しミルクを入れるといい……」

「ああ、うん……そうするよ……」

諦めたようにマグカップを受け取り、ミルクを注ぎ込む江戸川コナン。彼こそが遠い昔に焦がれた小さなホームズ君だ。
その向かいに座る男の前にもマグカップを置く。もし彼が僕の予測通りの存在ならば、ミルクは必要ないだろう。

「貴方はブラックで?」

「カフェオレとは言わないんですね」

そう言いつつもブラックのままマグカップを口に運ぶ男。見透かし難い彼の表情がわずかに綻んだように見えた。
お目がねには敵ったようだ。

「簡単な推論ですよ………キッチンのゴミ袋にあったブラックコーヒーの缶を見ればね………」

「それは確かにわかりやすい証拠だ」

納得したように微笑みを浮かべる彼の向かいへとマグカップを持って歩く。小さなホームズが腰かけるソファーの後ろだ。
小さな少年の向こうでブラックコーヒーをすする男をみて、まるで鏡でも見つめている気分になる。影男(ドッペルゲンガー)だとしてもこれほど似てはいまい。
立ち振舞いや所作。更には思考方(キャラクター)まで僕と彼は良く似ている。この上、沖矢昴という名まで同じとくれば見るもの全てを混乱に陥れるだろう。
それでいて、確かに彼と僕は異なる人物なのだ。

「ほ、ホントに別人……なんだよね……?」

僕と彼を交互に見比べていたホームズ君が恐る恐る訪ねてくる。
無理もない。
僕自身ですら驚くほどに僕と彼は似ている。

「おや。コーヒーの好み程度では納得いただけないかな?」

「たしかに沖矢さん……あ、えっと。こっちの沖矢さんはブラックコーヒーを良く飲んでるけど……」

「これからは僕もカフェオレを飲んだ方がいいかもしれませんね」

「どうせならコーヒーの量自体を減らすことをオススメしますよ。カフェインの取りすぎは良いことではない……」

「それはご忠告をどうも」

「…………………………」

ホームズ君の首が僕と彼の間を忙しなく動く。

「(どっちがどっちだよこれ!?)」

とでも言いたげな表情(インプレッション)で少年は二人の沖矢昴を見比べている。マグカップの中のコーヒーだけでは目印として頼りないのだろう。この子のこんな顔を
目の前にする日が来るとは。中々に人生というものは面白い。

「それでは聞いても構わないだろうか……ここに僕が連れてこられた理由を……」

「あ、いや、えっと…………」

「ああ、彼から連絡をもらってあなたをこちらにお呼びしたのは私です。……本当に変装の類いではないんだな?」

「うん。少なくとも変装マスクじゃないよ」

「変装……ですか。用心深い方ですね……」

「色々と訳ありでね。ひとまず自己紹介からでもはじめようか。私は沖矢昴。東都大学大学院の工学部に所属する。今はこの工藤という方から許可をもらってこの家に住んでいる……」

「それは奇遇ですね。私も沖矢昴と言うんですよ……」

「これはこれは」

小さなホームズ君からすでに聞いていたのだろう。彼は私の返答に驚く様子もなく、ただ片眉をあげた。

「本当に不思議なことだ……。改めまして。私は沖矢昴。東京大学大学院の工学部に所属しています。住んでいるところはこのような屋敷ではありませんがね……」

「「東京大学?」」

「おや、聞き覚えはありませんか。それは残念なことだ……」

声を揃えて首をかしげる二人の助けになればと僕の学生証を取り出す。
免許証のように味気のない色味のカードが一枚。その一枚だけで彼らにどれほどまでのことが伝わろうか。
言葉による自己紹介よりも雄弁な証拠を小さなホームズ君に差し出した。

「えっと……学生証?沖矢昴……東京大学……」

「東京大学……本物か?」

興味を引かれたように彼もソファから立ち上がり、学生証を覗き込んだ。
硬いカードから一筋も目を逸らさずにホームズ君は即座に答えた。

「誰も知らない大学名の学生証を偽造する理由はないと思うよ」

「それもそうか……これは……しかし……」

「お疑いのようなら……写真がありますよ。たしか…………入学式のときに携帯で…………」

最近では流行り遅れになりはじめた折り畳み式の携帯を開き、写真の一覧を表示させる。
探し出した一枚の電子写真を覗きこんだホームズ君が目を剥いた。

「せっ!?」

「せ?」

「あっ、いや!このとなりに居る茶髪の女の人ってだあれ?」

「入学式のということは母親ですか?」

「それにしては若いような……」

興味をひかれた様子の彼がスマホ画面を覗きこむ。赤塗りの門の前、四年前の僕の隣に若々しさの失われない女性が一人立っている。紅茶にミルクを垂らしたような甘い髪色とあどけない顔立ちのその女性は、鋭い眼光でカメラを睨み付けていた。
相も変わらず写真映りの悪い人だ。

「いえ、母ですよ」

「すっ、昴さんのお母さん!?」

ホームズ君が危うくスマホを取り落としそうになった。
危うげなく落下しかけたスマホを掴んだのは僕に良く似た彼だ。謎を紐解かんと画面を注視する表情があまりにも擬似感を掻き立て、鏡の中から虚像(イメージ)が歩きだしたような錯覚にすら陥る。
この場合、どちらが虚像であるかなど些細な問題だ。彼という沖矢昴は確かに詐称の覆い(フェイク)でしかないようだが、それは僕にとっても恐らくはそう変わらない。かつて夢見たコミックスヒーローの名残なしに今の僕はありえないのだから。

「僕に母が居ること自体が信じがたいかのように君は言うんだね……」

「び、びっくりしちゃって……えへへ」

不意にホームズ君を茶化してみたくなり揺さぶりをかける。咄嗟に少年が返した返答に嘘はない。しかし隠し切れない動揺の名残が上ずった声に残っている。
たとえば、などという前置き(アサンプション)はもはや必要ない。自然に見えて見開きすぎた瞳孔。微細な動きを忘れた表情(マスク)。
わかりやすい子だ。
図星を突かれた表情をあからさまに覆い隠した小さなホームズ君に僕は一つの確信を得る。
それは長年の疑念の氷解であり。数十年前から答え合わせをし損なったままであった問いへの解答でもある。

「はじめからそうだった……君はまるで僕が存在していること自体が矛盾(イレギュラー)であるかのような素振りをしていたね……。ならば、問わなければいけないことがある」

矛盾であるのは僕なのか彼なのか。
その問い自体が最早存在矛盾(イレギュラー)だ。
故に疑うべきは前提条件。真だと信じていたものが偽(フェイク)であった可能性だ。最も脆い足場を見つけ出し、自ら打ち崩さなければ矛盾は殺せない。
そのための証拠はたった一つで十分だ。

「僕によく似た貴方は誰なのだろうね?」

「私は沖矢昴ですよ……」

「それは貴方の偽装(マスク)の話だ……」

間隙を突く、と人は言う。
この場合狙うべきは意識の狭間だ。注視と注視の狭間、平常から警戒へと心情(ステータス)が切り替わるその一瞬。
静動の断絶点に意識を結ばせたままでいられる者などいない。たとえ髪一条を通すような油断であれ、油断には違いない。
その狭間の時へと手を伸ばす。
己の手が確かに僕ではない沖矢昴の頬に触れるのを感じた。振り払われたりなどする前にしっかりと表皮(オーバー)に指をかける。
ピリリと繊維や紙がひきちぎれるような音がした。

「――ね?」

正解(ユーリーカ)。
破り取られる偽装。この他人になりすますための道具を変装マスクと彼らは呼んでいたはずだ。
沖矢昴という偽装の下から現れた緑の瞳は擬視感と新鮮味を同時に引き起こした。
恋い慕う者にようやく出会えたような心地すらする。
次の問いへの返答こそが沖矢昴の真実だ。

「貴方の名前を改めてお聞きしたい……」

さあ。
獲物を狩るが如く、謎解きをはじめよう。


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