illy game (1/1)
夢主が死んでるっぽいです。
アダルティな雰囲気。
懐かしい悪夢にジンは身を任せていた。
「組織よりも俺の手を取りなよ」
この掠れたテノールを聞いたのはいつぶりだろう。もう長らく、思い出すこともなかったと言うのに。
アドニス、と夢うつつで呟く。
ベルモットのように甘く、シェリーのように辛い。
刺激的で、傲慢で、ロマンチストな質の悪い男だった。 愛してはいなかった。だが愛されていたのかすらわからない。
気まぐれに寝床を共にしていたものの、互いに色恋沙汰の気配はなかった。ジンは一度も恋人めいた態度をとることはなかったし、アドニスはあまりにも容易く甘い言葉を口にした。そのくせ、愛の言葉は滅多に吐かない男だった。
『ジン、愛してる』
そんなアドニスは、最後の最後にそんな言葉を告げて死んだ。
『だから君に殺されるわけにはいかないよ。愛している君を、泣かせるわけにはいかないからね』
いつものように甘ったるくジンに囁きかけた男は、言いたいだけ言って勝手に電話を切った。誰が泣くというのだろうか。妄想も大概にしろ、と詰ろうとした言葉は通話終了を知らせる電子音に飲まれる。
スピーカーの向こうから聞こえた、寄せては返す波の音が妙に耳のなかで残っていた。
そしてあの身勝手な男は死んだのだ。
裏切り者として組織から抹殺命令が下るよりも二日早く、誰にも死に様を見せることなく海に飛び込んだらしい。らしい、と言うのはジンも詳しいことを知らないからだ。
本当に飛び込んだのだとしたら、あの通話の直後だろうということしかわからない。
そしてジンは何故だかあの通話のことを誰にも告げないままでいた。
告げられないままでいた、と言うべきだろうか。
あの通話の存在を打ち明けることはつまり、アドニスとの関係を打ち明けることに等しかった。
組織の曲者どもを取りまとめているジンと辛うじてコードネームがついている男に関わりがあったことすら誰にも知られていない。
それほどまでに、アドニスは慎重だった。それはジンの立場を慮った故なのか、それとも彼自身の事情から来る慎重さだったのかはわからない。
本心は見せず、本音には踏み込まず。砂糖菓子のように甘い言葉で何もかもをうやむやにしてしまうようなその男を"アドニス"とジンは呼んでいた。
だからジンにとって、目の前にいるこの男は偽物以外の何者でもなかった。
「待たせてごめんよ。やっと君に会いにこれた……」
キザったらしい台詞。
恋人を見るときだけ少し見開かれる目。
柔らかく弧を描く口元。
何もかもが記憶通りだった。
だけどこれは偽物だ。アドニスはこんな愛しそうな顔を誰かに向けられる男ではない。
笑みの形を描きながらも冷えきった目。その眼差しだけはジンも気に入っていた。
あれは決して誰かを愛せるような男ではない。
「愛しているよ、ジン」
まるで生きているかのようにリアルな質感をもって男がジンの手に触れる。
とんだ悪夢だ。
「おまえは、俺の手には触れねぇ……」
気付けば己の手に銃が握られていて、やはりこれは夢なのだとジンはどこかで納得した。躊躇わずに引かれる引き金。吹っ飛ばすのは頭ではなく心臓だ。そこがいい。もし、自分があの不透明な秘密主義者を殺すならばそれがいい。
「拳銃に手が届かなくなるのは……好きじゃねぇ…………。そんなことくらい…………おまえは知っていたはずだろう……」
胸に赤い風穴を開けた男はキョトンとしている。ちらりと血を垂れ流す己の体を見下ろし。そして、嬉しそうに破顔した。
「君も……僕を殺したかったんだって、思ってもいいんだね」
ジンは何かを言い返そうとした。
しかしそこでぱちりと夢が覚める。風船が弾けるようにアドニスはかき消され、見慣れたポルシェの車内が目に入った。
少しばかり寝ていたらしい。
臆病者めが。
夢の中でさえ人の話を最後まで聞かなかった男に悪態をついた。
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